みていてくれたそれだけで case 9


 「君が初めて手紙をくれたのっていつだったっけ」
「僕が入院した時だよ」
「だったね。驚いたよ。手紙をくれたこともそうだけど、その内容が、“入院しました”だったから」
「隔離病棟っていうところに入ったから。携帯含めて一切の物の所持を認められていなかったんだよ」
「社会から隔離されていたんだね」
「うん。でも当時の僕の言葉で言うと、隔離ではなくて、保護されている感覚だった。社会のあらゆる便利な生活の道具や身分を失ったけれど、代わりに、社会から受けるあらゆる苦悩やストレスから守られていたんだよ」


 「私はね、君が病院から届けてくれた手紙を読んで、初めて君の心で思う言葉を聞けた気がしたんだ。だから、私も本心で応えようと思ったの。そうしたら、考えずとも先に病院へ足が向いてた」
「嬉しかった」
「君の涙を見たのも、その時が初めてだったね」
「僕が何も話せずにいたら、そっと髪を撫でてくれた。それで思いのせきが切れたんだよ。本当に、寂しくて、怖かったんだ」
「私には想像の出来ないことだったけれど、当時のあきらくんの目は、私がそれまでに見た中で、一番色あせていたの。その目から背けたらいけない気がした」


 「そう。僕を見てくれていたんだ。ただ僕を。それだけで、心が。救われたんだ」
「もっと早くに、気が付くこともできたかも知れないって、あの時は思ってた」
「僕は、気づいてもらいたくはなかった。ずっとずっと沈んで行って、底までいけば、何かが見えてくる気がしていたから。怖いのは、今の自分が、どこまでの深さにいるのかが分からないからだと、あの時は考えてた」


 「冬、だったね」
「うん。君はおしゃれだから、お見舞いに来てくれるときに、今日はどんな風なんだろうって、わくわくしてたよ」
「そんなこと考えてたの」
「ん……うん、まあ」


 「ふう……。手紙の整理はまた今度にするよ。今日は何か、ご馳走を作ろう。あきらくんの好きなものを、2人で」
「うん」


 入院の前後と、退院後のこれまでの記憶は、あきらにとってはありきたりなものではなく、多くが苦痛を共にしなくては語れぬものである。しかし、色音の口から生ずる言葉で紡ぐ思い出は、不思議と心を揺らすことなく語られたのであった。

彼のおもいを濁さないように case 8


 「しのたん」
「……ん」
「お願いしたいことがあるのですが」
「うん」
「今から少し外を歩こうと思うのだけど、一緒に歩いてくれやしないだろうか」
「わかった」
「ありがとう」


 しのは喜んでいた。だがその感情を表には出すまいと注意していた。きっとそれがあきらに伝われば、彼が少なからず気を負うであろうと察しているからだ。
 出来る限り平生の口調と表情を保つように振る舞うしのの思いに、あきらが気づく様子はないが、それはきっと、彼の頭にそれの浮かぶ余地がないからだと、しのは考えた。


 「雲がかかってないから、月明かりだけでも歩けるねえ」
「うん。僕はこのくらいの明るさが一番好きだよ」
「……」


 一呼吸の間の後、二人は同時に準備運動を始めた。しのにとっては、運動の準備でしかない動作であったが、あきらにとってのそれは、精神的な準備を兼ねたものであった。
「よし。いこっか」
「おっけい」
「あ……」
「ん?」
「えー……と。きつくなったら、帰っても、いい、かな」
「うん。そうしよう」
「へへ」


 しのはあきらが自身の精神状態の悪化を想定して、現実的に相応しい対応を、偽りなく提案してくれたことに喜んだ。一方で、あきらは言葉を重ねることなく快諾してくれた、しのの理解に感謝していた。


 「いい顔してるなあ。あきらくん」
 久しく見ていない程の心地よさそうなあきらの寝顔を見て、しのは心から今日の終わりに安堵した。彼が流した汗が、いつか、どこかで実を結んでくれたら、そう願って、しのも眠りについた。寄り添う彼の髪を、優しく指で解きながら。

わからなくていとしい case 7


 「へー。こりゃあ、大工さん泣かせだねえ。あきらくん」
「そんなにかい」
「やあ、大したもんだよ。半信半疑だったんだけどね。君がそれくらいなら作れるって言った時は」
「うん。僕もそう言ったけれど、自信はなかったよ」
「えっ。そうなの。怖いなあそれ。そんな風には見えなかった」
「学校で習う数学ってさ、順序良く段階を踏んで学べば、高卒まではなんとか出来ると思うんだよ。で、木工に関して、僕は独学で中学校レベルまでは習得していると思っていてね。だから、次点の高校レベル、つまり、この僕らの部屋の開き戸を作り変えるレベルなら、なんとかなると思ったんだ」
「あー。まあ。そうなんだ」
「ひやひやしてた?」
「少し」
「ふっふ」
「で、色はどうすんの」
「いい質問です。色はしのたんと考えます。こちらのパレットから絞っていこう」
「おお。いいねえ。パッと見の色の印象だけで、既に素敵な未来を想像するに易いよ」
「僕もそんな気がして胸がいっぱい」


 しのとあきらが生活を共にするようになってから、二年が経とうとしているが、二人の間には果てもない未知の発見の旅が続いている。お互いの人間の外郭を薄っすらと捉えてはいるものの、未だに相手の見えない部分の形にまで、目の届かないことを、二人は常々楽しんでいる。


 「本当に君はわからない人だ」
 しのが呟いた。
 「僕も君のことをそう思っているよ」
 あきらが嬉しそうに応じた。
「そこですなあ」
「ん……ですな」
 両人が「(そこが)好き」とまで言葉を発しなかったことと、その背景にある感情を、二人は時を同じくして理解し合った。

日記 case 6


 なにやら珍妙なる大きな物体があきらくんの部屋に置いてあったので、何かと思えば、巷で話題の「セグウェイ」なるものであった。
 なぜ買ったのかと尋ねると、「散歩のため」だそうで、それを耳にした時はさして気にも留めなかったけれど、散歩は自分の足で歩いて散歩と言うのではないかと少し疑問に感じる。
 彼のことだからきっとその辺りの定義は問題ではないのだろうと今は思うけれど、近所の方々からすれば、体を自在に運ぶことのできる小型の機械に乗って徘徊……否、散歩をする彼を不審に思うかも知れない。
 ともあれ彼が外に出ようとしているモチベーションをふいにするようなことはしたくない。言いたくもない。


 そう。外に出る。あきらくんが外をあ……歩く……かな。歩くだ……な。歩こうとしている。それが彼にとってどれ程の勇気と気力を必要とすることかは想像の及ぶものではない。
 私はただ、彼がセグウェイでの散歩を続けられなかった時に、彼のそばにいてあげる。それだけでいい。
 一度もセグウェイを持って外に出なかったとしても、それでいい。彼はもう進んでいるのだから。
 だってセグウェイって、四、五万円するよね。それを買うことは並の決意ではないと思う。
 それはそうと、あきらくんのあのお金はどこから出ているのだろうか。以前、話に聞いた仕事の様を成していない仕事は順調だろうか。彼が働いている様子は見れていないけれど、それは然程気にならない。


 最近、少し楽しそうな彼の横顔をよく見る。私はそれがなによりも嬉しい。
 のんびり。ゆっくりやってほしいな。

 ファイトだあきらくん。

プロフィール

日木 心(ヒノキ アキラ)

Author:日木 心(ヒノキ アキラ)
消して訪れないと、確信できる未来ほど、鮮明に強く文字に表わせられます。


憧れて、あきらめていること。

起こりえないと知っていることが、ここでは起きます。


そのためだけの、記録の場所です。